プラスコラム
PLUS COLUMN

血液型はなぜ「ABO」になったのか?

たいていの人は自分の血液型を知っています。血液型の分類でもっともなじみのあるのは「ABO」方式ですが、そもそもは「O」ではなかったというのです。

なんだったのでしょう? 

何があったのでしょう?

 

羊の血を人間に輸血していた

 大人になってみれば当たり前のことだとわかりますが、子どものころは血液にいくつかのちがう型があるなんて考えてもみませんでした。

 ただ単に血液は赤い、赤い血が出ると痛いぐらいの認識でした。

 古代の人、いや中世のみならず近世までの人にとっても考えは同じようなものだったようです。

 昔のヨーロッパでは血液は神秘的な力を持つものと考えられていたようで、畑にまいたり、血液で体を洗ったり、疲労回復のために飲んだりもしたそうです。

 そうした中、17世紀のはじめに医師で生理学者のウイリアム・ハーヴェイという人が「血液循環論」を発表。さらにハーヴェイの発表からおよそ40年後、医師のジャン=バティスト・ドニは羊の血液を人間に輸血する治療を行いました。

人間に対する初めての輸血といわれています。

 当時はもちろん血液型の知識もその存在も知られていませんでした。

 

最初の血液型は「ABC」でした?

 ドニの輸血治療からおよそ半世紀、産科医ジェームズ・ブランデルが人間から人間への輸血を試みます。

運よく成功するも、まだ血液型の存在を知らない中での輸血で、成功するか失敗するかは賭けのようなものでした。

 さらにそれから半世紀。オーストリアの病理学者カール・ラントシュタイナーがのちのABO血液型を発見しました。1900年のことです。

 ラントシュタイナーは、ある人の血清に他の人の赤血球を混ぜると凝集する(固まる)場合と凝集しない場合があることを発見しました。

 彼は血清の凝集反応によって3つの血液型に分類しました。

 お互いが相容れず凝集を起こす血液型を「A」と「B」、そして「A」と「B」のどちらにも凝集を起こさない血液型を「C」と分類したのです。

 ただ、そのときラントシュタイナーは「AB」型を見落としていましたが、2年後、彼の同僚らが発見。第4の血液型として追加されました。

 

「ABC」でも「AB0(ゼロ)」でもなく

 ところでラントシュタイナーがC型と呼んだ血液型は、いつの間に、どうしてO型に変化してしまったのでしょうか。

 じつはC型は、「Aの抗原もBの抗原も持たない」、つまり「血液の凝集が起きない」ということから、いつの間にかゼロ(0)に転じ、C型から0(ゼロ)型と呼ばれるようになったといわれています。

 ところが、このA型、B型、0(ゼロ)型、AB型の4つの分類型がのちに文書として印刷される段階でミスが起きました。

 0(ゼロ)がO(オー)に間違えられ、世界に広まってしまったということです(他にドイツ語の「ohna(〜ない)」の頭文字説など諸説あり)。

 こうして「ABO血液型」は1927年の国際連盟で正式に認められたということです。

 誤植がそのまま医学的な歴史になる珍事件ですね。

 ちなみにラントシュタイナーはのちにRh血液型を発見。1930年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

 

<参考>

*「輸血の歴史」(日本赤十字社大阪府赤十字血液センター)

*「輸血医ドニの人体実験」(河出書房新社)

*「血液型について」(一般社団法人 日本輸血・細胞治療学会)

*「医療の挑戦者たち10 血液型の発見」(テルモ株式会社)

*「知ってなっとく からだの疑問」(小学館)

 

プロフィール

医療ライター
中出 三重

株式会社エム・シー・プレス勤務(医療ライター・編集者)

*出版社勤務、フリー編集者を経て、企画・編集室/株式会社エム・シー・プレス勤務。

*女性を取り巻く医療と健康、妊娠・出産・育児の他、予防医学、治療医学などを中心に、多くの単行本を企画・編集・執筆。

*楽しく食べること、おいしく飲むことをこよなく愛する。休日の楽しみは公園ごはんと街歩き。

関連キーワード