
さりげなく行動変容をうながす「ナッジ」とは?
「そっと後押しする」といった意味を表す「ナッジ」。
身の回りには、この「ナッジ理論」に基づいて施されたさまざまな事例が数多く見られます。
さらには健康の分野にも「ナッジ」が応用されているというのですが……。
人間は不合理な性質の生き物?
「やせなくては」と思っても、ご飯やラーメンを「大盛り」にしたり、つい甘いものに手が伸びてしまったり、「運動が健康にいい」と分かっていても、「忙しいから」「時間がないから」を言い訳にして運動をさぼったり……といったこと、よくありますよね。
頭では「そうした方がよい」「やらなければ」と理解はしていても、多くの人は、「めんどうだ」「あとで考えよう」といって、実際に行動しないことが多々あります。
こうした「分かっちゃいるけど……やらない」という理屈に合わない行動は、怠惰やだらしなさが原因ではないのだそうです。
人間は「常に合理的な判断に基づいて行動する」わけではなく、たびたび「不合理な行動や判断をしてしまう性質の生き物」だというわけです。
よりよい方向へ「そっと後押しする」?
そんな人間の理屈に合わない不合理な行動を心理学、経済学の面から体系化させたのが「行動経済学」という学問分野で、それを実際に社会で役立てるための1つの手法として生まれたのが「ナッジ理論」といわれます。
ナッジとは「肘で軽くつつく」「背中を押す」といった意味の英語(nudge)で、転じて「そっと後押しする」ことを表す言葉として使われています。
行動を強制せず、「選択の余地を残しながら、よりよい方向へ導き、自分で選んだと納得できる状態」という手法がナッジ理論だそうです。
ナッジ理論の事例としてよく紹介されるのが、海外の空港でのハエの絵が描いてある男性用の小便器のエピソード。ハエの絵によって小便器の周りに飛び散るおしっこの汚れが大幅に減ったそうです。
日本でも男性用のトイレの小便器に、ハエではなく弓矢の的を思わせる小さなシールが貼ってある飲食店もあるそうです。
また、スーパーやコンビニのレジ前の床に、足跡のマークを描いてそれに沿って並ぶようにさりげなく導く手法も今では当たり前になりました。
ナッジ理論でがん検診率が向上?
ナッジ理論をがんの検診率アップにつなげている自治体もあります。
厚生労働省が作成した『明日から使える ナッジ理論』によると、東京都八王子市は、大腸がん検診の検査キットを送る際に、「検診を受ければ例年通り無料で送る」と通知したグループ(A)と、「検診を受けないと次年度は検査キットを送らない」と通知したグループ(B)に分けて受診率を比較したところ、BグループはAグループよりも7.2%高くなったといいます。特に40代女性と50代男性は受診率に10%以上の差がみられたそうです。
また福井県高浜町では、特定健診とがん検診をセットにした総合検診を同じ日に実施することで、受診率が17ポイント上昇したそうです。
「どちらの検診を受けるか」の選択から、「いつ受診するか」に変えるだけで大きな成果を得ることができたそうです。
ナッジ理論を食環境などの健康づくりに活用する例もみられるようです。
例えばセルフサービスの社員食堂や大学の学生食堂などでは、栄養や塩分に配慮した料理を利用者の目につく場所、手に取りやすい位置に置くことで選びやすくし、食べるようにそっとうながすなどの手法があるようです。
悪い行動につながる「スラッジ 」とは?
「ナッジ」が、望ましい方向に行動できるように後押しすることなのに対して、「スラッジ 」と呼ばれるものがあります。
「スラッジ(Sludge)」は「汚泥」といった意味の英語。ナッジとは逆に「望ましくない行動に誘導すること」を指します。
「負のナッジ」「望ましくないナッジ」などともいわれているようです。
食生活に関わるスラッジの例としてよく指摘されるのが、コンビニのレジ近くに置いてある揚げ物やお菓子の数々。目につきやすいのでつい手に取ってしまいがちです。
商売としては「成功」なのでしょうが、食における健康といった意味ではスラッジといえるようです。
もしかしたら、ふだん何気なく口にしている、あの食べ物もスラッジな誘惑に導かれているのかもしれませんね……。
<参考>
*「受診率向上施策ハンドブック〜明日から使える ナッジ理論」(発行/厚生労働省 協力・監修/国立がん研究センター保健社会学研究部)
*「ナッジ理論と環境施策」(川崎市環境技術情報/環境総合研究所)
*「そっと行動変容をうながす“ナッジ”を用いた食環境整備に取り組む管理栄養士」(公益社団法人 日本栄養士会)
*「『ナッジ』でダイエットを後押し!」(『栄養と料理』2024.7月号 女子栄養大学出版部)